松陰神社「立志殿」吉田松陰先生の書 奉納作品 揮毫

この度、株式会社銚子丸会長 堀地ヒロ子さまより、松陰神社「立志殿」吉田松陰先生の書 奉納作品揮毫のご依頼を頂戴いたしました。

山口県萩市 松陰神社は、明治維新の立役者たちの指導者として知られる吉田松陰先生を祀る神社。
境内には、幕末維新に活躍した高杉晋作や久坂玄瑞ら多くの志士が学んだ松下村塾(世界遺産)をはじめ、さまざまな史跡や資料館等があります。

松陰神社 境内入口 左手に見える「立志殿」は、株式会社銚子丸の堀地速男代表取締役ファウンダーの奉献で、平成28年10月に竣功されました。

■松陰神社「立志殿」

■松陰神社境内入り口

■松陰神社 本殿

松下村塾 (しょうかそんじゅく)「明治日本の産業革命遺産」※2015年7月 世界遺産登録

奉納作品の揮毫にあたり、3月16日・17日の2日間、松陰先生生誕の地、萩を視察。

誕生地は萩市内を一望できる「団子岩」とよばれる高台にあり、風光明媚な場所です。

■吉田松陰誕生地

 

松陰神社「立志殿」吉田松陰先生の書を奉納の儀

日 時:令和4年6月23日(木)大安

奉納者:堀地ヒロ子(株式会社銚子丸会長)

書 :市川翠峰(書家)

経 緯:「立志殿」は、松陰先生の諸業績・思想・実行力を世界に発信していく拠点として、株式会社銚子丸の堀地速男代表取締役ファウンダーの奉献で、平成28年10月に竣功した。堀地ファウンダーは、事業を成し遂げるにはまず志を立てることから始めるなど、松陰先生の教えを忠実に実践した結果、株式会社銚子丸を優良企業に育て上げ、上場するまでに至った。そこで、松陰先生の神恩に報いるため、「立志殿」建設を発意したが、残念ながら完成を見ることなく、平成28年6月27日に逝去。その後、堀地ファウンダーの遺志を継いだヒロ子会長が、「立志殿」内に松陰先生の教えを後世に伝えるべく、書を飾ることを決意。若き書道家・市川翠峰氏にその願いを託し、奉納に至る。なお、松陰先生のお言葉は、松陰神社の上田俊成名誉宮司に選んでいただいた。また、奇しくも堀地ファウンダーの七回忌を済ませた直後の奉納となった。

【奉納作品】

■「立志以為萬事之源」志(こころざし)を立てて以(もっ)て万事(ばんじ)の源(みなもと)と為(な)す

●画仙紙 3×6(三六)サイズ 900mm × 1800mm

意味 : 志を立てることからすべてがはじまるとの意。高い志を定め、将来の夢を大きく描き、具体的な目標を立てること。

■「讀書以稽聖賢之訓」読書を以て聖人の訓(おしえ)を稽(かんが)える

意味 : 書物を読んで聖賢の教えを考え究める。

●画仙紙 3×6(三六)サイズ 900mm × 1800mm

■「強恕」きょうじょ

意味 : 真心を尽くして、人を思いやること

●画仙紙 3×6(三六)サイズ 900mm × 1800mm

■「天地大徳君父至恩」天地の大徳(だいとく)、君父(くんぷ)の至恩(しおん)

意味 : 天地にはすべてのものを生き生きと育てる大きな徳があり、君主と父母にはこの上もない深い恩愛がある。天地の徳に報いるには、まごころをもって尽くすべきであり、君主と父母の深い恩愛には、全力を尽くして報いるべきである。

●画仙紙 サイズ 900mm × 900mm

suihou Ichikawa
Japanese Calligrapher|書家|墨象アーティスト 市川 翠峰 (いちかわ すいほう) 7歳より書道師範である両親の指導のもと、書を始める。その後、書道師範・書道教授免許を習得。 書道団体 漢字部門にて十数回に及ぶ賞を受賞し現在に至る。 書道指導・作品展でのゲスト講演・社名・店名・道号・名刺・タトゥーデザイン等、多数手掛けている。 また、書の分野だけに留まらず様々なアーティストとも交流を深め、伝統を重んじながらも ”斬新”を志し生きた線を書くことを心がけている。 "タイタン" の学校 書道講師

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